去年に続き、葉山へ行ったこと
風の強い日

夏が始まる前のある日。ふと、葉山へ行きたくなり、ホテルを予約して葉山へ向かった。逗子葉山駅に降りると、潮の匂いが改札まで流れてきていた。内陸のよどんで湿った空気に慣れた体に、それは思いがけない解放の風だった。バスに揺られると、窓の外に見えるのは濃い緑と古びた屋根瓦。道はゆるやかに曲がり、森の影に吸い込まれるように続いていた。
坂を上るたびに光がきらめき、葉のざわめきが車内にまで届く。旅というより、日常の向こうに少しだけ開いた隙間に迷い込んだようだった。降り立った停留所では、強い風が帽子を押し上げ、神社へ向かう道の始まりを告げていた。
森の神社のお祭り

境内には、参加者が自分で用意したと思われるタープが並んでいた。机の上には木の匙や手編みの籠、焼き菓子の包み紙。どれも人の手の温度を含んでいて、指先で触れると時間が少し柔らかくなるように思えた。
本殿の前には祭りのための特設の広場があり、食べ物屋さんのテントが多くあった。近所の飲食店の出店が軒を連ね、タンタンメンからジャークチキンまでカオスの様相を呈していた。入り混じった食べ物の匂いに混じって、森の湿った香りが鼻をかすめた。観光地の華やかさはなく、ただ暮らしの延長のような祭り。街の一員ではないので、何か疎外されているような、被害妄想的な気分もしていた。
ぼくと妻は、クラフトビールが好きなので、軽く一杯飲んで祭りを楽しんだ。
郵便局の前で

森を抜けて海へ向かう途中、白壁に赤い印を掲げた小さな建物が現れた。葉山一色郵便局。特別な装飾はなく、日々の往復を静かに見守るように立っていた。
素朴な立て付けの郵便局はそれだけで開放的で、何か海の街に来たような気分になった。
海の匂いを含んだ風が通り抜け、赤い印をちらりと揺らす。その一瞬に足を止め、胸に刻む。日常の建物が、旅の記憶を象徴する風景になる。
海の街

通りを抜け防風林をくぐると、光の粒を散らすように海が広がった。波は穏やかでキラキラと光っていた。
波の音は単調で、けれど体の奥を叩くように響いた。胸の奥に沈んでいた記憶やこれからのことが、音に混じって浮かんでは消える。言葉にはならないけれど、その断片が心を満たしていた。
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うみと夜

日が沈むと、海沿いのホテルが灯をともした。部屋の窓を開けると、暗い海から涼しい風が入り、カーテンを膨らませてはゆっくりしぼんでいく。潮騒だけが途切れなく続き、夜を深くしていった。
水平線の彼方にいくつもの漁火が浮かんでいた。小さな光は頼りなく、同時に確かな存在感を放っている。その光を眺めながら、一日の断片が胸に沈んでいく。
翌朝、川にかかる橋の上から水面を覗いた。朝の光が少しずつ差し込み、鳥の声が響く。旅は終わりに近づいていたが、その余白は心に残り、また葉山へと向かう日を呼び寄せてくれるように思えた。

そのほかの写真



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